元プロ野球選手でメジャーリーガーの井口資仁さんは「いまの野球は子供の身近にある遊びではなくなっている。行政やプロ野球界の積極的な活動がなければ、野球離れは解消しない」という――。
■公園でキャッチボールすらできない世の中
振り返ってみると、僕が小学生だった1980年代は大らかな時代でした。僕が生まれ育った田無市(現・西東京市)にはまだ野球をして遊べる空き地が点在していましたし、もちろん公園で野球をすることができました。僕らがいつも遊んでいたのは、近所にあった遊水池。
「今日はあそこに集合しよう!」と下校途中に友達と約束し、家にランドセルを置くや否や、カラーバットとボールを持って遊びに出掛けたことを覚えています。すぐ手の届く範囲に野球がある毎日でした。大きな声で盛り上がっても注意されることはなかったし、元気に遊ぶ子供たちを地域の大人たちが温かい目で見守ってくれていたように思います。
昭和から平成、令和へと元号が変わり、街から次々と空き地が消えて住宅が建ち並ぶようになると、いつしか公園でキャッチボールをすることさえも禁止されるようになってしまいました。自分の生活圏内に野球をして遊ぶことのできる公園やグラウンドがなければ、子供たちが野球から離れていくのは当然でしょう。子供の野球離れを食い止めたいなら、まずは野球をできる場所を整えることが第一歩になるはずです。
■ボールを使う場所を確保するためにスクールに通う子供たち
すでに野球チームに所属している子供たちも、ボールを使って自主練習をする場所が見つからずに困っていると聞きます。最近ではチームの練習以外にアカデミーやスクールに通う子供たちが増えているようですが、スキルアップや体力強化という目的があるものの、その裏にはボールを使った練習ができる場所を確保したいという切実な思いもあるようです。
公園でボール遊びが禁じられている自治体が多い中、東京近郊で言えば、埼玉県吉川市ではボール遊びができる公園があり、野球に限らず、バレーボール、バスケットボール、サッカーなど球技全般を楽しむ子供が多いそうです。
吉川市の公園では、野球のキャッチボールをしている子供たちの横で、別のグループの子供たちがバレーボールの練習をしていることもあるそうですが、それぞれが安全に配慮しながら練習をしているので、特に大きな問題もなく活動できているようです。
■「隣町に行かないと野球もできない社会」で本当にいいのか
面白いと思ったのは、公園でボール遊びが禁じられている近隣の地域に住む子供たちの中には、その地域のチームに入るのではなく、伸び伸びと練習できる吉川市にあるチームまで通う子供もいるということ。やはり子供たちには伸び伸びと体を動かしてほしいと願う保護者が多いということでしょう。
ボール遊び禁止というルールは大人が作ったもの。それぞれの公園や地域で事情はあるでしょうが、一律に禁止してしまうのではなく、子供の未来を思いながら妥協点を探っていくのも大人の役割でしょう。
吉川市の例を考えると、行政と協力しながら環境を整えていくのも一つの方法です。公園で安全にボール遊びをするためのルールを考えてみたり、小学校や中学校のグラウンドをボール遊びのために開放する時間を設けたり。
どの自治体にも必ず、使われなくなったまま放置されているスペースは一つや二つあるものですし、少子化の影響で統廃合される小中学校も多いと聞きます。僕も野球教室や講演活動などで訪問する自治体に働き掛けながら、野球ができる場所、ボール遊びができる環境を整える活動に取り組み続けたいと思います。
■野球は道具をそろえるハードルが高い
野球を次世代につなぐために、広く協力を呼びかけたいことがもう一つあります。
それが道具の問題です。
サッカーが世界中に広まった要因の一つは、ボール一つでプレーできる手軽さにあると言われています。正式なサッカーボールではなくても、足で蹴ることのできるボールがあれば一人でもリフティングができたり、ドリブルができたり、シュートだってできる。何人か集まればパスを回すことができるし、簡単なゲームもできるでしょう。手軽で安価に楽しめるスポーツだというハードルの低さが、国の貧富の差にかかわらず、等しく世界中で発展する要因となったというわけです。
その一方、野球は道具がなければできません。公園で遊ぶレベルでもバットとボールは必要不可欠。競技としてしっかりプレーするのであれば、それに加えてグラブが必要になるでしょう。道具を手に入れなければならない手間とコストが、サッカーとは違い、野球がなかなか世界に広がらなかった理由でもあります。
まずは野球の現状と自分の考えを広く伝える事で思いを共有する仲間を増やしていくことが大切です。
1人の力では不可能なことでも、2人、3人……と集まれば、何か大きなことを成し遂げられるものです。